五十嵐太郎さん編著の『ヤンキー文化論序説』を読む。
この記事を書こうとしてふと思ったのですが、僕はなぜこの本を読もうと思ったのでしょうか。ヤンキーは大嫌いなのに。というのも、当然この本は『ハマータウンの野郎ども』に後続する研究なので、ヤンキー=悪図式には単純には乗っからないんです。で、僕はそれが嫌なわけ。いつもそこに回収かよ、との突っ込みは百も承知で言いますが、ヤンキー的ホモソーシャリティの犠牲になって命を落とした(誇張じゃないんだよ、これが)ゲイ男子はいっぱいいますからね。僕個人の極端さに帰着されるとしても、やはり「男らしさってろくでもない」とは声を大にして言いたい。
だから、自分でも意外なことに後藤和智氏が書いた文章に一番シンパシーを感じましたね。ヤンキー先生の批判的総括だったんですが。後藤氏、この論考をもう少し膨らませて長めの論文を書いてくれたりしないものか。
全く独立した感想。そっか、大竹伸朗も天明屋尚もヤンキー的なわけね。後者はわかりやすいが、前者に関する感覚は僕の中にはなかった。
2009年06月22日
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