2009年10月26日

『花窗玻璃』

深水黎一郎さんの『花窗玻璃』を読む。

フランス、ランス大聖堂からの男性の転落死。状況から考えると現場は密室。これは自殺、あるいは殺人か? この大がかりな謎が解かれることによって、シャガールのステンドグラスと事件全体の構図が重なるという深水さんのいつもの手法が明らかになるという作品です。しかも今回は、カタカナ語を全て漢字表記(花窗玻璃で「ステンドグラス」とルビとか)にした作中作を入れ込むという点で、文章そのものの仕掛け性も高くなっています。構図の重なりについては深水さんは作中では一切触れないでそれに気づくか読者を試すので、そこに気づけるかどうかがこの作品をどう評価するかのポイントですね。その割には、「本格ミステリ論」っぽいこととか、深水作品を浅く読む読者への当てこすりはかなり直接的に登場人物に語らせたりするわけですが。この「自分のやっていることを自分で説明しちゃう」感じ、僕の感覚ではアカデミアの人間に特有なことのような気がします。「本格ミステリ」的、と言ってもいいんだけど、その言及の仕方が小説的ではないので、やはり少しそれとは違う気がする。

ただ、この漢字表記の文章、いわゆる現代的な日本語のカタカナの部分だけを漢字表記にしたものなので、ちょっと読みにくい。そのことの必然性が事件の謎とも絡むのですが、その必然性(というか、効果)を高めるためには文体そのものももっとペダンティックにした方がよいわけで、なぜそうしなかったのかが気になります。僕の読み込みが浅いのかもしれませんが。

あとね、作中のかなり早い段階でこういう文章が出てくるんです。些末なことかもしれませんが、僕、こういう事を書く人って絶対信用できないんだよなあ。深水ファンの方々ごめんなさい。今後も深水作品はチェックしますから、許して。

狐につままれたような気持ちで男に近寄ったマルタン刑事だが、すぐにその息の臭さに辟易して思わず後ずさりした。安酒のアルコールの熟柿のような臭いに、多分内臓かどこか悪いのだろう、魚を腐らせて作る東南アジアの調味料のような臭いが混じっている。(p.12)


渡辺淳一『鈍感力』にもあったよね、こんな描写。しかもこの後の作中作で、ある登場人物が出てくる(フランス)料理に対して細かくケチをつけたりするんですよね…。うーん。
posted by △ at 12:07| Comment(8) | TrackBack(0) | もじにいりびたる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんな本もあったね。特に興味を惹かれなかったのですが。

ところで、マルタン刑事の感性を表している文章(なんだよね?)の何にひっかっているのかよくわからなかったので差し支えなければ教えてください。


Posted by SHO at 2009年10月26日 22:03
例えば、腐らせるのと発酵させるのとは違うという話?

全く別の話ですが、タイ料理のクイティオナームなんか食べる時、ナンプラーがあるのとないのとでは全然味が違いますよね。あれがないとどうも。
Posted by SHO at 2009年10月26日 22:21
SHO氏にならこの不快感が即座に伝わると思ったんですが…。
「口が臭い」ということを説明するのに、「東南アジアの調味料」って言葉を使うのがとても下品だと思うんですよ。東南アジアの人は口臭のような香りの食べ物を食べてる、っていう蔑視(でもあるし、世界の料理に対する呆気にとられるような感性っつうか無知っつうか)が奥に隠れてる気がして。

ちなみに『鈍感力』ではこう書かれてます(正確な引用ではないかもです、すみません)。

「嗅覚が鈍いおかげで、韓国料理であろうが、ベトナム料理であろうが、何でもよく食べる。それどころか、多少変な臭いがしても、平気で食べる。まさに、何でも食べられておいしく感じられて下痢もしないのですから、一石三鳥です」

なんかこの嫌な感じが似てません?
Posted by at 2009年10月27日 22:40
ひょっとしたら、そこが不快なのかもとは思っていたのですが、そこはマルタン刑事の感性というか身体感覚を書いた部分なので、僕はここにはひっかからないのです。

確かに感覚といっても、純粋に生理的な感覚だけではなく文化的なものが混じっているので、その点で批判の余地はある気はします。

但し、ここで言えることがあるとすれば、それはマルタンが旧植民地に対する蔑視を持ってしまっていて気に食わない−でも作中でそういうニュアンス込めてるんじゃないの?−とか、そういうことだけだと僕は思っています。このとき、作者の深水さんは出てくる余地がないのではないでしょうか。(ここには異論があるかもしれませんが。) 

また、この話は、(作中で)実際にマルタンが体感してしまったことです。今言ったようにここには批判の余地があるが、現に感じてしまったことを「誤り」として完全に否定し去ることはできないと思うのです。

一方、『鈍感力』の話は韓国料理・ベトナム料理に対する考察であり(どんなにあほなものだとしても)、従って「誤り」が指摘できると思います。その点が少し異なるような気がしました。
不快度もこっちの方が上。

感覚対理性という単純な形には必ずしもならないと思うのですが。

*追記:僕はマルタンが感じたのは、香辛料の匂いそのものよりは香辛料を食べた後の口臭なのかと思いこんでいたが、引用文読み返したら、ここは違ったかも。香辛料そのもののにおいなのね。
 口臭である場合は、自国フランスの食べ物ではなく東南アジアの香辛料を思い浮かべるということが、旧植民地に対する蔑視と言えなくもないが完全にそうだとも断定はできない気がしています。香辛料そのもののにおいだということなら、
おそらく蔑視が入っていると思われる。
Posted by SHO at 2009年10月29日 23:00
>でも作中でそういうニュアンス込めてるんじゃないの

とは「マルタンが旧植民地に対する蔑視を持ってしまっている」というニュアンスです。分かりにくくてすみません。
Posted by SHO at 2009年10月29日 23:03
そう、そこが問題なんですよ。つまり、該当箇所の描写はマルタン刑事が感じたところを記述したものか、「神の視点」=作者側の記述なのか。で、本文自体からは、実はどちらか決定できないかもしれない、ということも自覚はしています。

ただ、ここは非常にセンシティヴな問題なので、そもそも誤解のないように(マルタン刑事の差別性を描写すると明確にわかるように)書くべきだ、だからどちらにもとれる状態で記述を投げ出してしまうなら、その点をくさされても文句は言えない、というのが僕の意見です。無造作にこういう表現が出来ちゃう時点で僕はちょっと抵抗を感じるかも。

我ながらやや無理のある立論かも。どうせ無理ならえいやっと私情を吐露すると、僕はこういう下品な人(に帰しておきますが)の出てくる本格ミステリって苦手なんですよ。せめて本格のミステリの中では人々はそれなりに合理的であってほしいんです。わがまま?
Posted by at 2009年10月30日 12:32
いや十分理解できます。但し「誤解のないように(マルタン刑事の差別性を描写すると明確にわかるように)書くべきだ」(例えばこの場合だと、「彼は東南アジアの香辛料」を嗅いだことが一度もなかったが」という文章が一番エクスキュース的でない言及でよいと思うのですが)を言わなくても自明な前提とするのは、ちょっと
難しいのではないかと思いました。
・ここは言わずとも、読者の判断に任せられるケースなのではないかと考えるため。
・また僕はここが差別的といえるかどうかについても微妙かなと考えるので。もっともサンカクさんの言うとおり、この微妙だからこそ、作中人物の感覚を描写するときに、それとは別に神視点からの言及が必要だという意見も確かに頷ける。ここらへんは僕も揺れます。

なお上は香辛料というモノの場合だが、人の場合は位相が異なるように思われる。また「ホームレス」と「昨日会ったホームレス」とでもその抽象度の度合いにおいて位相が異なると思われる。前者の場合、においが文化表象と分ちがたく結びついている例であり、それはそもそも誤っているという点で(なかなかにおうなと言う場合もあるが、そうでない場合も当然多い)、特に問題化すべきだが、後者もまた別の仕方で(つまり香辛料と同じ仕方で)結びついているように思う。確かにその場合、僕は何らかの形での言及が欲しいが、前提としたいが、当然の前提とまで言い切れるかについては、もう少し議論が必要だと思う。
Posted by SHO at 2009年11月01日 20:55
僕の方がずいぶん後退しているんですが、直感としてはマルタンの差別性に記述を還元することはできないんですよね、やっぱり。作者の意識をそこに読み取ってしまう。この直感は消えないなあ。

さて、東南アジア差別問題でなくホームレス差別問題へと話が広がりはじめましたね。この場合、積極的に論じるべきは『容疑者Xの献身』でしょう。ぜひSHO氏の意見をいつか聞いてみたいです。

あ、コメントは整理しておきました。
Posted by at 2009年11月02日 17:09
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