2010年07月02日

『つぎはぎだらけの脳と心』

デイビッド・J・リンデンさん作、夏目大さん訳の『つぎはぎだらけの脳と心』を読む。

インテリジェントデザイン論って知っていますか?強大な知性を持った創造主が世界を現在のような形に設計した、というトンデモ科学思想のことです。この本は、「人間の脳の優れた機能は、きっと優れた創造主の設計思想に帰する」という脳版インテリジェントデザイン論の思想を科学的に否定する、読みやすくて面白い本です。

著者の主張は明確。人間の脳はあとからあとから機能を継ぎだしてできたものであって、一から設計したと考えるにはあまりに齟齬や無駄が多すぎる、しかし、この齟齬や無駄という偶然のできごとこそ、私たちの「人間らしさ」の根本要因なのだ、というのがそれです。さまざまな脳に関する知見をわかりやすく解説しながら、この明確なテーゼを読者に納得させようと筆者はストーリーを進めます。

脳研究の入門書としての側面が強く、もう少し全面的にインテリジェントデザイン論と対決してくれてもよいのにとは思いましたが、読みやすい本であるのは間違いありません。ぜひどうぞ。
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2010年06月07日

『鏡の中のミステリー』

高野陽一郎さんの『鏡の中のミステリー 左右逆転の謎に挑む』を読む。

これまたなんとはなしに読んでみた本。多分再読な気がします(高校生ぐらいの時に読んだのかなあ、たしか)。「鏡は左右を逆にするのに上下を逆にしないのはなぜ?」という疑問に対して、単一の解答ではなくいくつかの要因の重層的結果だと答えることによって最終回答を与えた、独創的かつ決定的な本。そもそもこの単純な疑問に答える説がいくつもあったことも驚きですが、それに対する高野さんの批判と分析の的確さ、そして平明さにさらに感銘を受けました。なるほど、そういうことだったのね、鏡の謎。

わかりやすくて面白い本です。オススメ。
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『犬の帝国』

アーロン・スキャブランドさん著、本橋哲也さん訳の『犬の帝国 幕末ニッポンから現代まで』を読む。

たまには学術書も、ということで、読んでみました。犬という形象が日本でどのようにイメージ戦略の道具にされてきたかについて、緻密に論じた本。この本を読めば、あなたはもう忠犬ハチ公を今まで同じようには見られなくなります。

個人的には、古川日出男さんの『ベルカ、吠えないのか?』と併せ読みしてほしいなあ。オススメ。
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2010年03月05日

『カワイイパラダイムデザイン研究』

真壁智治さん、チームカワイイの『カワイイパラダイムデザイン研究』を読む。

「カワイイ」という要素を定性的にきちんと分析した上で論じていこうという、デザイン論の本。装丁も素敵だし、この本自体がとっても「カワイイ」。中身はだいぶ堅いですけどね。

さて、この本に関しては僕は大小いくつかの疑問が。第一に、カワイイパラダイムというものについて最初の章で語られるのですが、分析の結果を分析より前に記述されてしまうので、何か「トップダウン的に枠組を勝手に決められた」ように思えてしまう。分析のプロセスを書いて、その上で結果として文字通りのパラダイム=範型を提示してくれた方がよかったのではないか。

第二に、「カワイイ」意外にも新語が頻発され、議論が整理されたようにあまり見えない。さまざまな事象を貫く「カワイイ」を明晰に取り出すためには、「カワイイ」以外の言葉はもっと厳密なものにした方がわかりやすいのではないか。

第三に、分析は堅実なのに、その背景を語る言葉や「まとめ」の言葉がナイーブに過ぎる箇所が多い。個人的にはやはりジェンダーに関する記述が気になりました。統計もデータも出さずに現代の女性や男性についてそんなに簡単に決めつけを行ってよいのか。

ということで、デザイン論そのものに不得手な僕は核心のまわりをぐるぐると回ってしまったのでした。詳しい人の意見を聞いてみたい。
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2009年06月22日

『ヤンキー文化論序説』

五十嵐太郎さん編著の『ヤンキー文化論序説』を読む。

この記事を書こうとしてふと思ったのですが、僕はなぜこの本を読もうと思ったのでしょうか。ヤンキーは大嫌いなのに。というのも、当然この本は『ハマータウンの野郎ども』に後続する研究なので、ヤンキー=悪図式には単純には乗っからないんです。で、僕はそれが嫌なわけ。いつもそこに回収かよ、との突っ込みは百も承知で言いますが、ヤンキー的ホモソーシャリティの犠牲になって命を落とした(誇張じゃないんだよ、これが)ゲイ男子はいっぱいいますからね。僕個人の極端さに帰着されるとしても、やはり「男らしさってろくでもない」とは声を大にして言いたい。

だから、自分でも意外なことに後藤和智氏が書いた文章に一番シンパシーを感じましたね。ヤンキー先生の批判的総括だったんですが。後藤氏、この論考をもう少し膨らませて長めの論文を書いてくれたりしないものか。

全く独立した感想。そっか、大竹伸朗も天明屋尚もヤンキー的なわけね。後者はわかりやすいが、前者に関する感覚は僕の中にはなかった。
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『現代哲学の名著』

熊野純彦さん編著の『現代哲学の名著』を読む。新書というコンパクトなサイズに20世紀の哲学者20人の各代表作の解説が盛り込まれているという親切設計。

日本の哲学者が5人含まれていること、あと「社会学徒」としてはルーマンの項があるのもポイントが高いんですが、この本の最大の特徴はそのわかりやすさにあると思う。解説が非常に明晰な項目=当たり項目が非常に多く、読んでいて「ああ、僕が昔読みながら居眠りしてしまった箇所にはそんなことが書いてあったのね」と膝を打つことしばしば。よい意味で非常に新書的だと思う。編集方針の勝利かと。

一つだけ苦情というか。執筆者のプロフィールがないので、文献の芋づる式探索がしづらい。ネットで調べればいい、とおっしゃいますか?でもね、同姓同名の人ってのが世の中にはたくさんいるのですよ、はい。ネットには学術系の情報があまり載らない、っていうメディア特性もあるしね。だからちょっと使いにくい。

この点を除けば他は満足の新書でした。オススメ。
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2009年06月14日

『バイアグラ時代』

メイカ・ルーさん著、青柳伸子さん訳の『バイアグラ時代 “魔法のひと粒”が引き起こした功罪』を読む。社会学者がフィールドワークにもとづいて平明に書いたバイアグラ本。面白いです。

たまには「本を読める人」ぶってみるということで、全体のストーリーをまとめてみます。第一章は問題設定とバイアグラの流通に関する最低限の知識のまとめ。第二章では男性のインポテンツがEDとして病理化されるプロセスを描き、第三章ではバイアグラを飲んで喜ぶ男性の声が記述されます。一方女性にとってはこれら全てのプロセスがうざったいのは当然です。第四章ではパートナーが精力絶倫になって困っている女性の声が拾われますが、第五章では困ったことに、別にセックスしたくもないそれらの女性を病理化しようとする圧力が描かれます。で、最後に第六章で本当にセックスがそんなに大事なのか、パートナーとしっかり話し合うべきだと結論づけられるのです。

この本の肝は第四章と第五章でしょう。あんたのペニスが勃ってもあたしゃ嬉しくもなんともないよ、という女性の声は、もっとまじめに聴き取られるべきなのです、やっぱり。やや単純化したストーリー要約でしたが、大事なところは伝えられたと思う。

翻訳がルポルタージュっぽいのは訳者の好みなのか原文の特徴なのかは不明で、僕としてはもっとアカデミックなスタイルでもよかったかなあとも思ったのですが、この本は多くの人が読んで目を覚ます助けとなるべき本なので、それはそれでいいのかも。ほんと、絶倫神話とか完全解体すべきです。ということでオススメ。
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2009年05月24日

『和算で数に強くなる』

高橋誠さんの『和算で数に強くなる』を読む。

タイトルからはあまり想像がつかないんですが、これはいわゆる「伝統の創造」論を和算を題材に書いたものといえると思います。中学受験対策とかでやたら習わされる(って僕は中学受験はしたことがないので伝聞ですが)植木算とか鶴亀算とかってありますよね。あれら和算の問題は全部江戸時代には存在したと思われがちなんですが、実はそうではない。これらの和算のうち、江戸時代にあったもの、実は江戸時代にはなかったものを、実際の資料に当たり、さらに江戸の数量観をつぶさに調べながら腑分けしていく作業がなされていきます。一切合切が明治以降に産まれた、というのではなく、これは江戸にあったけどあれはなかった、という風に結論づけるところがむしろ誠実。その線引きが江戸の数量観と重なるんだから、信憑性も増すというものです。

資料の絶対量が本当にこの結論を導くに足る厚みを持っているかとか、そういう数学史の分野での議論は僕にはわかりません。でも読んでいて面白いなあと思ったのは確かです。和算を扱っているのに「日本ってすばらしい!」イデオロギーに話を回収しない冷静さも僕は好きだな。ひさしぶりに面白い新書を読みました。オススメ。

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2009年05月21日

『瀬名秀明 ロボット論集』

瀬名秀明さんの『瀬名秀明 ロボット論集』を読む。法月綸太郎さんとの対談が目当てで読んだので「もじにいりびたる」カテゴリでもよかったんですが、一点だけ気になったことがあったので「かんがえをかんがえる」カテゴリで。

その一点とは、人間とロボットの関係を男女の関係と重ね合わせて論じることについて。人間が男でロボットが女、みたいな粗雑なことはもちろん瀬名さんは言わないのですが、しかし不気味の谷現象についての瀬名さんの考察はどうにも解せない。瀬名さんの反論は、「人間とロボットという異なるカテゴリのものを直線上に並べるから谷があるように見えるのだ」というものなのですが、このことを噛み砕くために男女を持ち出すんですね。本文中だとp.126ですが、ネット上で同趣旨のものを示すと例えばこんな風に。でもさ、男と女は(このグラフのように二極モデル的にであるかはともかく)シームレスにつながっているでしょう。瀬名さんの詳しいはずの生命科学でこそ、このつながりは明らかになっているはず。とするとこの説明の仕方は政治的にも自然科学的にもまずいのではないか。

瀬名さん自身が引いているダナ・ハラウェイなどのように、上手にやればロボットとジェンダーの組み合わせはそれ自体面白い論題だと思うんだけど、どうもまだ瀬名さんには積極的にそこに踏み込むだけの知識がないみたい(あえて強く言ってみますが)。もったいないなあ。

結構批判っぽく言ってしまったのですが、この本全体はすごく面白いのでオススメです。僕は大森荘蔵の「吹き込み」論とかへの言及にすごく惹かれるのですが、自然科学や工学の人はそちらの分野のところに惹かれるのだろうなあ。そういう風に文/理どちらの人にも訴えかける書き方ができるのは、やっぱり日本では瀬名さんだけだと思う。えいやっと書いちゃいますが、茂木健一郎氏よりも瀬名秀明氏がもっといっぱいテレビとかに出ればいいのに(笑)。

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2009年01月25日

『東大の教室で『赤毛のアン』を読む』

山本史郎さんの『東大の教室で『赤毛のアン』を読む』を読む。

『赤毛のアン』などの比較的知名度の高い作品を題材に、英文学の読み方を教える講義記録風の読み物。学術書ではないので誰でも読めます。

そしてこの本の面白いところは、ポストモダンクリティークの一切を無視して、「作者の意図」を読み解くことを目標としていることです。でも、作者の意図を裏切って面白く読むためには、作者の意図を正確に把握しなければいけないわけで、これはこれで文学に対峙するにはかなり重要なスキルであることは間違いない。単に好き勝手に読むことを戒めるためにも、入門の講義はこうあるべきなのかも。

個人的には4章と5章が面白かったなあ。あと、二人称小説の例として法月綸太郎さんの『二の悲劇』が例に挙げてあるのにもびっくり。

トランスヴェスタイトに関するあれれな記述もありましたが(いちおう学術書のセクシュアリティ系PC度チェックは僕の役目だと思っていますので)、その部分を割り引いても結構面白い本なのではないでしょうか。

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『軍隊のない国家』

前田朗さんの『軍隊のない国家』を読む。

世界中の軍隊のない国家のガイドブック。前田さんが実際に行った旅行記、あるいは調査記録の側面もあり、読み物的な文体になっています。

ちょうど『テンペスト』を読んだ直後だったこともあり、小国は軍事力ではなく知力=外交力で国家を対外的に維持していくべきなのだ、という主張が実際に実践されている国がいくつもあることを知り、興味深く感じました。軍隊を持たない国家というのが絵空事ではない、という事実を確認できるだけでもこの本は意味があるのではないでしょうか。

珍しく「かんがえをかんがえる」カテゴリへのエントリでした。

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2008年07月25日

『女優の誕生と終焉』

池内靖子さんの『女優の誕生と終焉』 を読む。日本の近代演劇の誕生は女優の誕生と切り離せない、というスタートラインから、女優なる形象が近代演劇の中でどのような役割を与えられ、現在どのような解体の試みが行われているかに関して述べた本です。

学術書、しかもなじみのない演劇論であったにもかかわらず、あまりに面白くて一気読みしてしまいました。池内さん自身は歴史に網羅的ではないことをエクスキューズしていますが、逆に重要なポイントだけを述べたことによって全体の流れがわかりやすくなっていると思う。ドラァグ・クイーンや障害者演劇の話で終わるところも、単なる「マイノリティ礼賛」ではなく演劇内在的な感じで○。堪能させていただきました。オススメ。

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2008年07月13日

『疑似科学入門』

池内了さんの『疑似科学入門』を読む。ふと思い立ったので、普段読まないジャンルですが。

池内さんは疑似科学を3つに分けます。一つ目は占いなどの「まやかし」、二つ目は科学の誤用乱用悪用、三つ目は現状では科学に答えがわからないものに関する「極論」。この三つ目をあえて入れたところに池内さんの科学者としての誠実さが現れていると思います。

がしかし、この三つ目を入れることは危険な可能性を帯びていることに池内さん自身も気づいています。「二酸化炭素が地球温暖化の原因かはわからないが、予防措置として二酸化炭素の排出を削減しよう」という論理は、「ユダヤ人が人類の不幸の原因かはわからないが、予防措置としてユダヤ人を虐殺しよう」という論理と同じだから。したがって、この本を読んで簡単に納得してはいけない(それこそまさに疑似科学です)。この本自身をきちんと批評的に読むことを池内さんは薦めています。そのような込み入った姿勢をとらざるを得ないところを自覚しているあたり、池内さん、やっぱり誠実だわ。

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2008年04月04日

『モテたい理由』

赤坂真理さんの『モテたい理由』を読む。

第一に、僕は「男って〜〜な生き物」「女って〜〜な生き物」という言い方が好きではない。第二に、看板にやや偽りありで、モテというよりは女性のライフスタイルの話がメインである。第三に、話があちこちに飛ぶので、書き散らしたようにしか見えない。ゆえにあまり好きなタイプの本ではない。

が、「高校球児にと言えば、長らく公然の秘密は、彼らがヤンキー文化圏の人たちであるということだった」(p.155)とかサラッと書けるのは素敵だと思う。ハンカチ王子の魅力の分析には、僕も思わず納得してしまった。

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2008年03月08日

『哲学ディベート』

高橋昌一郎さんの『哲学ディベート』を読む。

アクチュアルな倫理的問題に対して、その中身を問う前にそれらを論理的に読み解こう、という話。なので、倫理的な判断がくだされるだいぶ前で止まっています。あくまで論理力を身につける本だな、と思いました。全体的に、あるトピックに対する肯定と否定の意見がどちらも掲載されているので、読者が自分で考えてみるように、とのことなのでしょう。

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『社会の不思議』

橋爪大三郎さんの『社会の不思議』を読む。

社会学を小学生にもわかりやすいように噛み砕いた本、というわけではないようです。理科系の知識を噛み砕いてもいるわけで、全体的に「よのなかってどうなってるの?」という素朴な疑問にいろいろこたえる感じの本、と言った方がよいかも。

小学生向けなので新しい知識を得る、って感じではないですが、橋爪さんが常に大人の側に立ってモノを言っているのを読むだけでも楽しいです(笑)。橋爪さん、子どもの味方なのかそうじゃないのか。

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2007年12月26日

『大森荘蔵―哲学の見本』

野矢茂樹さんの『大森荘蔵―哲学の見本』 を読む。久しぶりの「かんがえをかんがえる」カテゴリエントリにふさわしい、すごい本でした。

稀代の哲学者、野矢茂樹さんが「師匠」であるところの大森荘蔵の哲学を解説し、論評するというスタイルについて聞くだけで興味がわき上がるのですが、読んでみてさらに興奮しました。

どういうことかと言いますと。一人の哲学者が、その思索の深化にしたがって思想内容を変化させていくことはよくあることです。そして、それらの変化を〜期といった用語によって分類、整理する研究も少なくありません。ただし、当の哲学者がなぜそのように思想を変化させていったのか、という必然性のレベルにまできちんと掘り下げられた議論というのはなかなかにない。しかし、野矢さんのこの著作は、そのような掘り下げが十分になされています。つまり、大森氏がどのように考えたかだけでなく、なぜ大森氏がそのように考えねばならなかったのかがきちんと論考されている。それ自体が優れたことであるだけでなく、なぜそのように考えねばならなかったか、を問うことは内容理解のガイダンスにもなるわけなので、本自体がとても読みやすくなっている。さすが野矢さん、何を書いてもすごいですね。

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2007年09月19日

『コンテンツの思想』

東浩紀さんの『コンテンツの思想』を読む。東浩紀さんの対談集です。対談相手(敬称略)は、新海誠・西島大介、神山健治、伊藤剛・夏目房之介、桜坂洋・新城カズマです。

もちろん面白かったのは伊藤さん、夏目さんと行われた「キャラ/キャラクター」概念の可能性、という章。キャラ概念に二重の意味が持たされている、という東さんの指摘は、もやもやっと頭の中にあった僕の疑問をクリアに解決してくれるものでした。キャラ/キャラクター概念、まだまだ磨き上げることができそうです。

東さんが今の日本のネットで起こっていることの中核を「悪口によって繋がる欲望」(p.95)と表現しているのですが、これ、うまいと同時にブログの書き手として反省させられる言葉でもありますよね。「つるんで褒めて一人でけなす」のが一番なのかも。座右の銘にでもするか。
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2007年07月16日

『差別原論』

好井裕明さんの『差別原論』を読む。

差別を糾弾する硬直的な見方をとらず、私たちがつねに陥りがちな差別としなやかな関係を取り結びながらよりよい人と人の関係性を創っていこうと主張する、柔らかいけれど大事なことが書かれている本です。

中身についてもいろいろ面白いところがあったのですが、一つだけ。石川准さんが『愛は地球を救う』(日テレの24時間テレビ)を文字って『愛は地球を足元から掬う』と言ったとか。いやあ、絶妙の皮肉ですね。このエピソードを知っただけでもこの本を読んだ甲斐があった(いや、本自体も面白いですが)。
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2007年07月05日

『ウェブ社会の思想:〈遍在する私〉をどう生きるか』

鈴木謙介さんの『ウェブ社会の思想:〈遍在する私〉をどう生きるか』を読む。

あらゆる人・モノがネットワークで情報を送りあう環境が普及した社会においては、「わたし」に関する情報の蓄積に「わたし」自身が溺れ、「情報としてのわたし」が「わたし」に先回りしてしまう。その時「わたし」は、「情報としてのわたし」が指し示す「そのようであるしかないわたし」という「宿命」を受け入れる他ない…。

このいささか絶望的なウェブ社会のありようの中にうがたれた、希望の「穴」を探ること。それがこの本の主題です。そしてその答えは、どれほど私たちが「島宇宙化」したくとも、常に他者と触れてしまう=つまり「宿命」の中に閉じては生きられないという、別種の「宿命」によって指し示されます。いわば他者そのものが希望の「穴」になるわけですね。

この種の結論、僕は間違っているとは思いません。結論のところでレヴィナスが出てくるのも、既視感があると言えばあるけれども、それはそれでかまわない。でも、僕のような「ウェブ社会」に詳しくない人間が読んでも納得できるということは、逆に言えば鈴木さんの「処方箋」がどのような意味で「ウェブ社会」に対して処方されたものだかわからない、ということでもあるのです。こう言い換えてもよいかな。バーリンやリベラル/コミュニタリアン論争がウィキペディア/グーグルや「セカイ系」にすんなりと接続されてしまう、その手つきが鮮やかだからこそ、今ここで進行している論述がフォローしている歴史的な幅がどのくらいに設定されているのかわからない。ゼロゼロ年代に設定されるかと思えば「近代社会一般」が射程に入っていそうな気もするわけです。歴史の厚みを深さに置き換えると(比喩がへたくそですみません)、水面を泳いでいくには最適なルートだけれども、水底に足をついて歩くには適していない気がする。

もっとも、鈴木さん自身がスピノザやニーチェ、ハイデッガーについてはまた今度書きます、情報化の話は「古くて新しい」ゆえに「ウェブ社会」の問題の射程は広い、と言っているので、読み手としては「ウェブ社会」に限定せずに読めばいいのかもしれません。でも、ウェブ社会の前には〈遍在する私〉は存在しなかったんですよね?とだとすると、ここで急に時代的に急に大風呂敷を広げるのも、また逆の意味で理解しにくいところではあるのだけれど…。ま、絡め手から読もうとして僕の批判が妙に自家中毒しているのはわかっているのですが。
posted by △ at 14:02| Comment(0) | TrackBack(0) | かんがえをかんがえる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする